『ファウスト』 紹介

こんばんは。中の人がこの記事を書いている時間が深夜なのでこんばんは、なのです。しかし、結局のところ読者の方がこの記事を読む時間はそれぞれなので「おはようございます」でも「こんにちは」でもなんでも良いのです。

それはさておき、今回はゲーテの『ファウスト』についての紹介です。

ゲーテ、と聞いて「なんか聞いたことあるな…」と感じたあなたはすごいです。そう、この方は1749年~1832年まで生きたいわば歴史上の人物とも言えるお方なのです。そう言われてもよく分からない、という方はかの有名な夏目漱石が読んでいた、と言えば分かりやすいでしょうか。実際に、夏目漱石著『草枕』にファウスト、という文字が記述されています。

二十世紀に睡眠が必要ならば、二十世紀にこの出世間的の詩味は大切である。惜しい事に今の詩を作る人も、詩を読む人もみんな、西洋人にかぶれているから、わざわざ呑気な扁舟を泛かべてこの桃源に溯るものはないようだ。余はもとより詩人を職業にしておらんから、王維や淵明の境界を今の世に布教して広げようと云う心掛も何もない。ただ自分にはこう云う感興が演芸会よりも舞踏会よりも薬になるように思われる。ファウストよりも、ハムレットよりもありがたく考えられる。こうやって、ただ一人ひとり絵の具箱と三脚几をかついで春の山路をのそのそあるくのも全くこれがためである。(引用元:『草枕』夏目漱石著)

このように、ゲーテはかなり前から注目されている作家で、現在でもその評価は留まることを知りません。一体、ゲーテのファウストにはどのような魅力があるのでしょうか。それについて、今回は言及していきたいと思います。


〇ゲーテの魅力とは

ゲーテは詩の、突き詰めて言うところの比喩表現で長けていて、その煌びやかさ、的確さは類を見ません。分かりやすいように例を挙げてみましょう。

なんとも奇妙だ!土の層をいくつも透かして朝焼けのような光がうっすらと滲み出ている。
そして底なしの深い谷間の底にまでその光はつながっている。
あちらでは湯気がふき出し、こちらには硫黄の気が立ちこめ靄と霞のうちから輝きが射し出す。
輝きはすぐ 細くからみ合う糸のように地を這いここでは幾百本もの血管を伸ばし
谷を一挙に絡め取ろうとしているかと思えばあそこではたちまち一本ずつに分かれて
片隅の狭い岩の割れ目にまで潜り込んでいる。
と見るうちに すぐそこでは火花が飛び散りまるで金の砂を撒いたかのようだ。
そしてほら!あんな高いところで石の壁が燃え上がったぞ。(引用元:ファウスト(上) 講談社)

このように、ゲーテの比喩はきめ細やかで、それでいて壮大な景色を表現しているのです。「正直なんて書いてあるのか分からない。意味が分からない」という方へ。それもまた一つの見方です。ただし、それぞれの解釈の仕方によってその文章から得られる感銘は月とすっぽんそのものと言えるでしょう。そして、なるだけたくさんの物をより意義のある見方で眺めた方が自己の為につながることでしょう。そこでおすすめするのが夏目漱石の作品です。夏目漱石の作品とゲーテの作品は「詩」という共通項のもとで何か相通じる部分があるように思われます。夏目漱石の作品は『坊っちゃん』、『それから』などが読みやすいのでまずはそこから試してみるのが良いと思います。

さて、ゲーテのファウストについて語るとしたら欠かせない人物はと言えば二人います。まず一人目が小説のタイトルであり、主人公である「ファウスト」です。この人物はとても優秀な頭脳の持ち主で、とても豊富な知識を備えていて、現在で言うところの富裕層の階級に属しています。そして、もう一人は悪魔であるメフィストフェレスです。悪魔、と言えば皆さんは何が思い浮かぶでしょうか。真っ黒なコウモリのような羽、ゲームに出てくるサタンのようなもの、といったところでしょうか。しかし、きっとそのどれもがこの小説では覆されることになるでしょう。メフィストフェレスはとても知的で、現実の人間のような行動もとり、普通の人物のような振る舞いをします。ただ、少しばかり多弁なところがあり、また主人公もおしゃべりが過ぎるところがあって感極まって小説の中のお話が脱線することがしばしばあります。そしてそれがこの小説の魅力ともなっています。

『ファウスト』は講談社のものだと上下巻で構成されていますが、下巻は象徴的な文章が多く、とても内容が難しいので今回は紹介ネタバレ共に、上に的をしぼってお話したいと思います。

さて、上の内容についてですが、一応ストーリーは上だけでも完結する形になっております。おおまかに説明すると、ファウストがある女の子に恋をしたので、ファウストとメフィストフェレスがあれこれ手を尽くす物語です。と言っても物語はそんなに簡単ではありません。この物語の真相についてより深く言及するにはメフィストフェレスがファウストに協力する目的について知らなければなりません。はじめに、メフィストフェレスは魔女のところに連れて行ってファウストにある薬品を飲ませます。そしてその効用によってファウストは女の子に一目ぼれしたり、この世界の美しさについてひとりごちたりしてしまうのです。さあ、メフィストフェレスはファウストに何をさせたかったのでしょうか。そのことについて、作中では詳しく書かれていません。ただ、この作品が書かれた時代的背景から見れば少しは謎が解けるかもしれません。18世紀~19世紀と言えば産業革命が起こり、西洋を中心に大きな社会的変化が訪れた時期と一致しています。産業革命がおこると人々はこぞって機械に夢中になり、街が栄えるようになるのですがそれ以前は何が社会の中心を担っていたのでしょうか。そう、それは宗教です。突き詰めて言えばキリスト教です。革命前の、当時の西欧社会では当たり前のように神様を信仰していました。それゆえ、当然サタンである悪魔は忌み嫌われる存在でなければならなかったのです。キリスト教は絶対。その概念はいつまでも揺るぎなく続くものだと誰もが思っていました。しかし、産業革命と同時に宗教社会のムードは崩れ、道徳的なものよりも科学的なものを追い求めるようになったのです。そこで現れたのがニーチェをはじめとする無神論者、あるいは革命者です。彼らは市民たちの背中を押すような形でキリスト教の様々な部分を引き合いに出し、それを誤謬だとして批判しました。そして、ゲーテもその中の一人と言っても良い人物として世の中に反キリストというものの存在を提示しました。メフィストフェレスは宗教的な存在といってもいいでしょう。そして、その存在は本来否応なしに忌み嫌われるべき存在であるのですが、そこを敢えて無神論者であるファウストと対峙させ、二人の友情のようなもの(仮)を表現することによって、あるいは宗教に対してのステレオタイプを破壊しようとしたのではないでしょうか。その本当のところはもっと深く研究しなければならないところなのですが、少なくとも読んだだけで得られる解釈としてそのようなものとして受け止めることがえきるのは確かなことです。

したがって、この作品は比喩が美しい芸術としての作品でもあり、宗教に対する考え方に新たな考えを促す革命的な作品でもあるのです。それについてはこの作品を読んでいただくのがもっとも早い手段だと思われます。

抽象的な文章が多いので少しばかり根気強さが必要になるかもしれませんが是非挑戦していただきたいです。それでは、またお会いいたしましょう。さようなら。


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